木曜夜、ゆうきはいつもより深いため息をついていた
「マスター、あの顧客、ついに来なくなったんです」
SaaSのゆうきだ。毎月、決まったように使ってくれるお客さんの話だった。
「昨年の4月から今月まで、ほぼ月1回のペースでアクティブだったんです。DAUも多くて。うちのMRRの三割を占めてたんですよ。それなのに、最後のログインから180日以上経ってて……」
ちょっと待てよ。月1で活発に。もしかして、本格導入じゃなくて……
「あ、そこですね。初回は営業支援用だったんです。でも2回目以降は、その顧客の営業チームが年間のキャンペーン管理とか、取引先への対応記録に使ってた。いわゆる季節的な業務サイクルに乗ってる形で」
言い換えると、うちのプロダクトが好きだったわけではなく、「繁忙期の一時的な業務ツール」が必要だっただけということか。
20年前、同じことでやられた
昔、メルマガの時代だ。ERPシステムの会社にいた。毎月使ってくれるお客さんがいた。数年間、安定的にログインしてくれていた。
ある時、経営層が「このお客さんの生涯価値は300万円だ」と喜んでいた。当時、そんなに大きな数字を出す顧客は珍しかったから、このお客さんをマスター顧客と呼んでいた。
ところが、ある月を境にピタリと止まった。理由を調べてみたら、そのお客さんの会社の会計年度が変わったからだ。年間の経営報告書作成時期だけ使ってくれていたのに、それが終わったということだ。
生涯価値300万円だと思ってた顧客は、実は個人の需要ではなく、会社の事業スケジュールで成り立っていた。いわば、相手の業務カレンダーに乗っかっていただけだった。
「あ……」ゆうきが気づいたような表情になる。
そう。そこだ。
季節業務には「終わりの日付」がある
SaaSだからこそ、ゆうきの会社は見落としやすい落とし穴がある。
単発導入のお客さんが「何度も使う」と、それを「チャーン回避」だと思ってしまう。
でも実際には、そのお客さんは「定期的に業務ニーズがある組織か部門」だっただけかもしれない。年度末決算の時期、キャンペーン準備月、四半期ごとの営業目標管理、年間の顧客監査。そういうイベント・業務が定期的にあるから、何度も使っているように見えるだけ。
営業部門なら、営業期末の報告整理、得意先との定期面談記録、月次の数字締め。こういった「業務機会」が月1ペースで存在する部門なら、月1で使う。でも、それは「あなたのプロダクトが好き」じゃなくて、「その時期の一時的な手段として手軽」というだけかもしれない。
業務サイクルは年度や部門のカレンダーに依存する。相手の事業スケジュールが変われば、ニーズも止まる。それなのに、ずっと「良好な顧客」だと思い込むと、急に使われなくなったときにダメージが大きい。
「だから、180日離脱の判定も、実はこの顧客には合ってない可能性もあります」
ゆうきが少し硬い表情で聞き返す。
「どういう意味ですか?」
「実質の利用サイクル」と「チャーン判定」のズレ
多くのCRM施策では、180日ログインがない=チャーン、という判定をする。だから、180日経つと、その顧客は「失った」と扱われる。
でも、もし相手の実際の業務サイクルが「年に2回(決算期と営業年度更新)」なら? 180日ルールで捉えると、本来の利用パターンを見落とす可能性がある。
「あの顧客は、実は営業組織の予算サイクルに乗ってたんじゃないかと思うんです。そうなると、使わない期間が長くなるのは、自然なことなんですよ」
ゆうきは黙っている。考えているようだ。
もう一つある。仮に、その顧客が本当に消えたとしても、原因は「プロダクトが気に入らなくなった」じゃなくて、「業務ニーズが発生しなくなった」だけ。つまり、リテンション施策で呼び戻すなら、「次の業務機会を認識させる」という角度が要る。値引きや新機能や期間限定キャンペーンじゃなくて、相手の「次の繁忙期や決算タイミング」に合わせた接点が。
「月1で使ってくれてたのに」という喪失感は分かる。でも、その顧客の本質は、ずっと「アクティブユーザー」じゃなくて、「季節的な業務ニーズが定期的に発生する一時的な導入」だったんだ。
処方箋
- ユーザーの利用パターンを「恒常的な利用」と「イベント的な利用」で分けて分析する。月1の活動に見えても、実は年間の業務スケジュール(決算期・営業年度更新・プロジェクト締期)に依存していないか確認する。中央値の利用間隔が平均を大きく上回る場合は特に注意
- 季節業務が高い顧客に対しては、180日チャーン判定ではなく「次の業務ピークシーズン」をベースに離脱期限を再設定する。例えば、決算期が3月なら5月まで、営業年度が4月なら6月まで、ログインがなくても「潜在アクティブ」として扱う
- 「ヘルススコアが高いから良好顧客」という判定をしない前に、そのスコアが「本格的な活用」なのか「外部要因(業務カレンダー・繁忙期サイクル)」なのかを見極める
- 失った顧客を呼び戻す場合、「新機能」「割引」ではなく「次の業務ピークシーズンがやってくる」というメッセージ設計に変える。相手の事業年度や部門のカレンダーに合わせたアウトリーチタイミングを復活させる
「単発が何度も来ると、継続ユーザーに見える。でも、見える景色と実態は別だ」マスターはグラスを傾けた。「あのお得意様が来なくなったのは、多分、君たちのプロダクトから見限ったわけじゃない。単に、業務ニーズがなくなっただけだ」
ゆうきは、自分の顧客分析表を眺めている。その顧客の利用パターンを、今度は違う角度で見直しているのだろう。

